■団体名称・・・・・堀留町一丁目町会【ほりどめちょういっちょうめちょうかい】
■代表氏名・・・・・町会長 永田 朗
■該当区域・・・・・日本橋堀留町一丁目全域
■町会事務所・・・・・東京都中央区日本橋堀留町1-8-9 渡菊ビル5F TEL:03-3666-0488
町会・自治会は、住民が自主的に組織し、運営する地縁団体であり、一番身近な地域の絆であります。
町会・自治会は、住民同士の交流や地域行事、防災・防犯など、さまざまな地域活動に積極的に取り組んでおり、地域コミュニティの核として、住民福祉の向上と地域の振興に寄与しています。
ぜひ、町会・自治会に加入し、安全で安心な住みよいまちづくりを推進しましょう。
◎○● 由緒ある歴史的記念物 ●○◎
【椙森神社】
当町会の象徴的存在が椙森神社である。倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)外四柱を祭神とし、創立以来平成13年度で1070年鎮座している。
神社縁起によれば、天慶年間に平将門が反乱を起こし、京から征討におもむいた俵藤太秀郷が戦勝を祈願し大勝したので、将門が襟にかけていた銀狐の像を寄進したが、これが現在社宝となっている。(伝聖徳太子作)
また、太田道灌が江戸城に入ってから雨乞い祈願のため、山城国伏見稲荷の伍社の神を勧請して信仰したと伝えられている神社である。
江戸後期の明和年間から明治初めまでの約100年間に大火が16回も起こっているが、神社本殿は類焼を免れたことから火除けの神様ともされ、戦前までは消防署長による祈願祭が毎年行われた。
社務は400年以上前から、現宮司小針常昌氏の祖先が俵藤太の血筋につながる者として引受け、現在に至るまで連綿と引き継いでいる。
商業の中心地に相応しく、合殿として商売繁盛の神様である恵比寿大神が祀られている。
建築物は関東大震災後の昭和6年に再建されているが、耐震構造に留意した設計で関係資料が一括保存されているため、現在では非常に貴重な建物である。
さらに、椙森神社は常に大勢の人が集まる所だったので、江戸時代には相撲興行や富くじ興行が行われていた。
現在は3年に一度5月に、氏子町会(堀留町一丁目、人形町一丁目芳人町会、人形町三丁目西町会、本町二丁目)が大祭を挙行し、壮麗かつ豪快な大神輿が渡御して町は熱気に包まれる。
【富塚】
椙森神社の境内に今の宝くじに相当する興行記念碑が建っている。湯島天神、谷中感応寺、椙森神社が「江戸の三富」と称される程、寺社奉行立会いの下で富く.じが盛んに行われて繁華な賑わいを示した。
- ★「富久」古典落語のあたり題目で、名人三遊亭円朝の作である。貧乏な久蔵が椙森神社の富くじで千両をあてるシーンを志ん生の名調子で語っている。
- ★川柳‘杉の森とったとったと稲荷町’
【出世稲荷・岩代稲荷】
6番地に出世稲荷と岩代稲荷の合殿がある。出世稲荷は三代将軍家光の時代に建立された。初代市川団十郎が信仰して名をあげたのでその名があり、花街関係・芸能関係の人々の参詣で賑わっていた。岩代稲荷は平成12年まで旧岩代町にまつられ、近隣の人々の厚い信仰の対象であったが、平成13年に出世稲荷の祠に移し、合同の初午祭が毎年2月に行われている。